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 暗闇は延々と続いていた。
 下へ下へと伸びる螺旋階段はその果てが見えず、たちの悪い抽象絵画のようだったが、阿鼻叫喚の渦巻くこの場所はまぎれもなく現実世界だった。
 数え切れないほどの人々が我先にと階段を駆け下りていくものの、その鉄製の手すりはほぼすべて壊れてしまっているがために、中央の暗い闇に落ちていく運の悪い人間があとを絶たない。
 階段は狭く、せいぜい二人が通るのがやっとのところを無数の人間がひしめき合い、ある者は他者を押しのけてでも前へ進み、またある者は銃を抜いて殺し合いを始めた。
 まさに生き地獄。
 どこにも救いはなく、あるのは絶望ばかり。尊いはずの命があまりにもあっけなく失われ、暗い闇の底へと消えていく。
 青い目のジェイルと赤い爪のヤリナの二人は、そんな中を下へ向かって急いでいた。
二人とも戦闘用の強化服を着込み、手にはすでにカスタマイズされたレーザー・タイプの銃がしっかと握られていた。
「ヤリナ、大丈夫か?」
「うん」
 鳶色の髪がすでに煤やほこりで汚れてしまっているヤリナを、灰色の髪をしたジェイルがさりげなく気遣った。
「それよりジェイル、前」
 静かに言われてその方向を見やる。
 暗がりの中でも光学探知機能のついた目が自動で光量を補正し、正確な視界を得る。
 それにより、状況をはっきりと確認できた。
 前方では、複数の男たちが激しい戦闘をくり返していたが、原因はよくわからない。
 ――やるか。
 ジェイルは迷わず決断した。
 最も手前にいた男の人工脳部分に無線で強制介入し、記憶(メモリ)をあさってみる。
『さっさと行け、オラァ!』
『行きたくても行けねえんだよ、ばか野郎ッ!』
 くだらない、という言葉が思わずもれそうになる。
 きっかけはひどく些細なことだったが、それが凄絶な殺し合いにまで発展してしまうとは。
 人類の殺人のきっかけは、太古の昔より大半がこんなものだと言われているが、それが自分たち人間の限界なのだろうか。
 あまりにもくだらなく、情けない。
 あんなことに今この状況下で巻き込まれるわけにはいかなかった。
「跳ぶぞ」
「うん」
 ヤリナに呼びかけ、強化服のモードをノーマルからアドバンストへ強制移行する。
 二人は同時に両の足にありったけの力を込め、頭上にある階段に触れそうになるほど跳び上がって、愚かな戦いをつづける男たちの上をあっさりと通り越していった。
 その着地はおそろしくゆるやかで、ほとんど音もなく通路の先のところへ下り立った。
「ジェイル」
 上空から広域の情報を入手したヤリナがいつもの無表情な顔を向けてきた。
 付き合いが長いからこそわかる、その目には危惧するような色があった。
「余計なことに首を突っ込むな」
 ため息をつきつつ、即座に彼女が考えているであろうことをはっきりと否定した。
 あの戦い続ける愚かな男たちのせいで、力のない者たちは前へ進めなくなってしまっていた。そこへさらに後から後から人が押し寄せることで、通路からはみ出した者たちが下へ落ちていくといったことがつづいている。
 ジェイルにも助けてやりたいという気持ちがないわけでもなかったが、もはや時間は残されていなかった。
 それに――
 人を救うために人を殺すというのは矛盾ではないか。
 この世界では、恩情が徒(あだ)となりすぎた。
 だが、ヤリナは小さく、しかしはっきりとその頭(かぶり)を振った。
「そうじゃない、上」
 ジェイルがはっとして見上げたときにはもう、センサーも確かに感知していた――巨大な物体の接近を。
 距離は二〇〇〇、一五〇〇、一〇〇〇、そして対象を視認した。
「あれは……そうか」
 見覚えのあるシルエットに、右の拳を握りしめながら歯噛みした。
〝蜘蛛(スパイダー)〟。
 それがあの多脚型に付けられた名だ。
 マイドル社が製造した八足の機体は元来、荒れ果てた大地の再生のために造られたものであり、廃棄物の浄化と植林が主な目的だった。
 それが今では人類を狩っている(・・・・・・・・)ということは、巨大並列化ネットワーク〝旧神(オールド・ワン)〟が人間そのものを自然環境との共存には不適格と判断したことを意味していた。
 以来、蜘蛛は人々にとっての悪魔となり果て、環境維持システムからすれば人類はもはや産業廃棄物の一種でしかなかった。
 話し合いのできる相手でもなければ、逃げ切れる相手でもない。
 正面から戦うことを決断しなければならなかった、周囲の人々をひとりでも多く救うためにも。
「ヤリナ、サポートを」
「ジェイル、無理をしないという約束は?」
「わかってる、無理はしない」
「だったら、行って」
 あっさりそう言い放つと同時に、ヤリナがすぐさま対象に向けて発砲した。
 両手に構えた大口径の二連式光学銃〝シオン〟が、音もなく光線を吐き出すと、それは狙いあやまたず蜘蛛の両目――全方位赤外線センサーを破壊した。
 痛みでも感じているかのように蜘蛛が生物のごとく暴れ回るのは、まさに痛覚と似た機構を制御系の内部に有しているためだ。
 機械どもはそれによって各種状況への柔軟な対応ができるようになり、痛みを知るからこそ自己防衛のシステムが洗練された。
 しかし、それゆえに有事の際の判断力に鈍化の傾向が出てしまった。
 ――それが技術の限界だったんだ。
 無意味にうごめく蜘蛛をしり目に、ジェイルは相手の腹部のほうへ向かった。
 頭で念じるだけで、左手の甲の部分に仕込まれたツール・キットが開き、その中にある鉤爪が五〇㎝ほども伸びた。
 ジェイルは鉄骨の足場を強く踏みしめ、もう一度蜘蛛に向かって勢いをつけた。
 下に向けてさらけ出している蜘蛛の土手っ腹に鉤爪を突き出すと、それはものの見事に喰い込んで相手を放さない。
 蜘蛛がさらに暴れる前に、右手の銃を対象に突きつけ、そのトリガーを迷うことなく引いた。無数の粒子が銃身内の超極小加速器によって高速の六七%にまで高められ、それらが一気に銃口から放出された。
 こちらの体も大きな反動を受けて左手の鉤爪が外れたが、蜘蛛のほうはその程度ではすまなかった。
 体の中枢部を粗い粒子があっさりと突き抜けていくと、もはや蜘蛛はその巨体の重量を支えることができずに自重で崩れ落ちていく。
「ジェイル」
「ちっ」
 自身の攻撃が片手落ちだったことを悟ったジェイルは、われ知らず舌打ちをしていた。
 蜘蛛の崩れたはずのパーツがそれぞれ小型の蜘蛛に変形し、周囲に問答無用に降り注いでいく。
 これこそが、第三期型スパイダーの第二の攻撃だった。
 支えを失って空中を下へ落ちていくジェイルはもう一度銃を放ち、その反動で落下の方向を変えて、その後もまとわりついてくる子蜘蛛をすべて撃ち落とす。
 だが視界の片隅で、蜘蛛の変形しきれなかった脚の一本が、階段の上へと落ちていくのが見えた。
 ――あれは、もうどうしようもない。
 卑怯とは思いつつ、これから確実に起こるであろう光景から目を背けるしかなかった。
 元から、人のことを気にしている余裕はない。
 今度は撃ち抜いた子蜘蛛の破片が、それぞれが生きているかのように動き回り始め、細すぎてほとんど視認できない糸を周囲に激しくまき散らしている。
 第三期型の中でもDスタイルのものだった。蜘蛛の機体はナノマシンの群体として存在しているから、大きな部分を破壊したとしてもより小さな部分となって活動し続ける。
 ジェイルは無駄な攻撃をやめ、逃げに徹することにした。真下にあった鉄骨を蹴り、ヤリナの待つ元の位置へと瞬時のうちに戻った。
「しまった……!」
 だがその際、右腕がナノマシンの粒子に触れてしまった。
 慌ててその部分を分離(パージ)したときにはもう、ごとりと足場に落ちたそれは勝手に動き出していた。それを忌まわしげに中央の穴へと蹴落としてやってから、ジェイルはヤリナのほうに向き直った。
「どうするか……」
「コアを」
 ヤリナの答えはいつも極めて簡潔だった。
 あのスパイダーはDスタイルの中でも最も古いもので、全体を中央で制御するための核が存在しているから、そこを叩けばすべてが一気に瓦解するはずだった。
「位置は?」
「今調べてる」
 ヤリナの目の色が、ブラウンからレッドへと変じていく。
 ナノマシンへの通信は電磁波で行われているため、それをひとつひとつ逆にたどっていけば、理論上はいつかかならず核(コア)へと到達できる。
「――見つけた。相対位置、X二二〇、Y三二三、Z五七」
「あんなところに……」
 視覚センサーをフル稼働して示された位置を見極めると、そこには蜘蛛のちっぽけな破片のひとつがあるだけだった。
 木を隠すには森の中、小型化されたコア・ユニットはほとんどどこにでも配置できるとはいえ、さすがにあそこが核だとは誰も思わないだろう。
 ジェイルはすぐさま腰の道具入れから二㎝角の小さなキューブを取り出すと、それを目標に向かって投げつけて左手に握った銃で迷わず撃った。
 初めは小規模だった爆発が連鎖的に広がり、あたり一帯を青い輝きが照らし出す。
 あのキューブは周囲の粒子に働きかけ、連続してプラズマを発生させる高威力の小型爆弾だ。その最初のきっかけは外部から与えなければならないのが難点だが、人が携帯できる爆弾としては最高クラスの威力を秘めていた。
「反応が消えた、もう大丈夫」
 ヤリナがそう言うのと同時に、それまで不気味に動き回っていた子蜘蛛の群れが、まさしく糸が切れたように下へと落ちていく。自律運動回路が組み込まれていないナノマシンは、もはや微少な鉄くずでしかなかった。
「ふぅ」
 これでやっと一息つくことができた。右腕は犠牲になったが、二人だけで戦ってスパイダーの第三期型を倒せたのなら上々だ。
「――――」
 しかし、周りは惨憺たる状況だった。子蜘蛛に分離しなかった脚部が人々を押しつぶし、ナノマシンに侵入された者はその部分が活動を停止してしまい、無力に倒れ伏している。遠くのほうからは、泣き叫ぶ女性や子供の声も聞こえていた。
「……仕方がなかった、やれるだけのことはやったが」
「わかってる」
 たった一言であっても、そこに込められたヤリナの慰めの気持ちは素直にうれしかった。
 とはいえ、立ち止まっている余裕があるはずもなく、これまでよりいっそう先を急がなければすべては無意味になってしまう。

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