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 先を急ごうとするジェイルの背に意外な声がかけられたのは、左腕の展開していたパーツをしまって一歩を踏み出したときだった。
「あの」
 驚いて振り返ると、手に旧式の人工素体の右腕部分を持ったひとりの少女が立っていた。
「これを使ってください」
「……お前たちを助けたつもりはない。変な気遣いは無用だ」
「それでも、あなたが戦ってくれたおかげで私たちは助かりました」
 そう言われてもなお逡巡するジェイルのかわりに、ヤリナが礼も言わずにそれを受け取り、頸椎にあるコネクタからコードを伸ばして有線でその素体につないだ。
「問題ない、汚染されてはいない」
 ひとつうなずいたヤリナからそれを片手で受け取り、ため息をつきながらジェイルは右腕の肩口に取り付けてみた。
 一応は動いてくれた。やや感覚と実際の動作とのずれが気になるが、そのうち制御機構が自動で調整してくれるだろう。
「とりあえず感謝しておく。だが、次は期待しないでくれ」
 少女がうなずくのを見届けて、二人は再び下へ向かって走り出した。
 今の一連のことでかなりの時間をロスしていたが、この地下抗には種々の〝守護者(ガーディアン)〟がいることはあらかじめわかっていた。ある程度のことは折り込みずみだった。
 しかし、思ったよりも想定外のことが多い。
 人の数もそのひとつだ。周辺地域からいっせいにここへ集まってきたらしく、通路が人であふれすぎて誰もが思うように前へ進めないでいる。
 そんな状況下でなぜか、そこここにいくつもの人だかりができていた。進行方向に見えるのもそのひとつで、一カ所に女性や子供が亡者のごとく群がっていた。
「あれは……」
「〝天球(スフィア)〟への接続端末」
 眉をひそめるジェイルに、ヤリナが確信のこもった声で答えた。
 スフィア――それは八〇〇年前から延々と構築されてきた宇宙規模のバーチャル・ネットワークである。五〇〇年ほど前から自律化し始め、今ではもう人間の手に負える代物ではなくなっていた。
 そんな中生まれたのが、巨大並列化ネットワークによる擬似的な意志を持つようになった〝旧神(オールド・ワン)〟であった。
 スフィアへの人間によるアクセスはそのオールド・ワンが完全に遮断し、人類の大半は正常なアクセス権のほとんどを失ったはずなのだが、それでもなお女たちは端末へ群がっている。
 ジェイルが止める間もなく、ヤリナがすぐさま彼女たちのところに駆け寄っていった。
「よせ、普通にやってはアクセスできない。下へ向かったほうが確実だ」
「放してよッ! 私たちは〝楽園〟へ行くのよッ!」
 ひとりのまだ若い女が、両腕を振って暴れながら震える声でわめき散らした。
 彼女が口にした楽園とは、かつて人間によってスフィアに構築された世界であり、そこではすべてのものが満ち足りて、過不足のない状態が保たれていた。
 だが、それこそが仇となった。
 あまりに安定した場ではなんら変化が起こらず、そこにいる人々はまさに停滞した。毎日が完全に同じことのくり返しとなり果てたその状態は、機械になること、人間としての終わり、すなわち実質的な死を意味していた。
 そもそも人間の精神がスフィアという名のバーチャル空間へと入り込めるようになったのは、元々コンピュータと呼ばれた単純なスイッチのONとOFFしか理解できない機械が、たったひとつの追加要素を処理できるようになったためであった。
 それは0でも1でもない中間の存在――虚数iである。
 単純ではあるが根本的な変化は、スフィアも、現実世界も、そして人間自身をも急速に変えていった。
 演算機と呼ばれたただの機械はあらゆる情報を扱えるようになって珪素生物(マキーナ)と化し、スフィアはどんな存在をもその内に取り込んでいった。
 人間でさえ例外ではなく、0と1の二元論では不可能だった意識の置き換えも珪素生物の登場であっさりと可能となった。
 だから、追いつめられた女たちはスフィアへの逃走を試みている、楽園への回帰を夢想して。
「スフィアはもう人間の住めるところじゃない。理解してくれ」
「ヤリナ……」
 ジェイルが彼女の細い肩にそっと手を置いて、首を横に振った。足下に無数の死体が転がっていることからして、おそらくは無理にアクセスしようとしたものの、〝門番(ゲートキーパー)〟に意識と肉体の糸を焼き切られたのだろう。
 恐怖に狂った者たちにかけるべき言葉は、もはやなにもなかった。次々と悲鳴さえ上げずにくず折れていく女たちをしり目に、ジェイルとヤリナは失望を抱えたまま先へ進んだ。
 周囲の照明が突然落ちたのは、その接続端末から二〇mほど離れたときのことだった。
「なんだ?」
 センサーの光量補正を最大にしても非常灯のオレンジの光さえ見えず、周囲を完全な闇が支配していた。
 そこへ、突然甲高いアラーム音が鳴り響いたかと思うと、今度は階段が螺旋状に渦巻く地下抗の上方からいくつかの白い光が降ってきた。
 それは、巨大な球状の機体だった。全方向を照らし出せるように六つの照明装置を等間隔に備え付け、しきりに不規則に回転している。
「〝監視者(ウォッチドッグ)〟か……」
 施設の維持・管理ではなく、天球への外部からのアクセスをひとつもらさず徹底して監視し、不正を発見した場合にはその原因を物理的に排除することが、あれに与えられた使命であった。
(スフィアへの非認証アクセスを確認。正当なアクセス権の提示を十五秒以内にお願いします)
 監視者が、この場にはひどく不似合いなきれいな女性の声で警告を発した。
「ヤリナ」
「うん」
 ジェイルに促され、監視者に対してアクセス権の入ったインフォ・タグを提示してみた。
 だが、相手からの反応はまったくなかった。
「――弾かれた」
「新しい防御システムか」
 ヤリナの持つアクセス権は、以前遭遇したマキーナを解析してつくった偽造のものだ。それが受け入れられなかったということは、最近になってアクセスを管理するシステムが改められたということを意味していた。
(制限時間内に正当なアクセス権の提示がありませんでした。不正アクセスと判断します。強制排除モード、オープン)
 ばか丁寧な通告とともに監視者の球体が真っ二つに割れ、そこからいくつもの銃器が現れて狙いを接続端末部分に合わせた。
 ジェイルはすぐさま左足につけておいた小型の突撃銃(アサルト・ライフル)を抜き、その銃口部分を取り替えると同時に弾倉も付け替え、間断なくトリガーを引いた。
 放たれた弾丸は途中で無数の破片に散り、それが監視者を覆っていくと、次の瞬間、そのひとつひとつが青白い光線でつながれた。
 この電磁波でつくられた強固な檻によって、監視者の動きはとりあえず封じることはできたはずだ。
 このボールは、他のそれらと有機的に連携しているため、うっかり攻撃でもしてしまうと、一気に別の監視者も集まってきてしまう。こうして捕らえておくのが最善だった。
 だが――
「駄目、ジェイル」
「なに?」
 ジェイルの問いに答える前に、ヤリナはすでに自身の銃を構えていた。
「来る」
 その言葉どおり、檻に捕らえたはずのボールが警報を鳴らし始め、それから五秒もたたないうちに上方に新たな輝きが現れた。
 ヤリナは迷わず、すぐさまトリガーを引いた。無反動銃〝シオン〟が光を吐き、まずは檻の中のボールを確実に破壊する。
 その直後、上から無数のミサイルが降ってきたかと思うと、それらは問答無用で端末付近のエリアを破壊し、残ったいくつかがこちらに向かってきた。
 狙いは他でもない、ヤリナだ。偽造タグでの認証が失敗したせいで、周囲の女と同じく不正アクセスを行った存在とみなされてしまった。
 シオンから放たれる光条が、ひとつひとつのミサイルを正確に射抜いていくが、それでも二発を撃ち残し、それらがすさまじい勢いを落とさず飛び来たった。
 だが、二つの悪意は荷電粒子の帯に貫かれ、目標に到達する前に爆発した。
「ジェイル」
「逃げるぞ。すべてを相手にはできない」
 視認できる光の数からして、想像を絶するほどの数の監視者と、その制御下にある機械(マキーナ)がこちらに向かっているはずだ。それらと正面からまともに戦っていたら、こちらの体力がまず持たない。
 二人は暗がりの中、人々が手にもつ灯りが点々と続いている階段を駆け下りていった。目の光感度を最大限に上げ、人でひしめく階段のわずかな隙間を通り抜ける。
 だが、監視者たちのスピードは圧倒的だった。十秒もたたないうちに無数の機体が迫りきて、無慈悲に弾丸を放った。
 身体に組み込まれた制御機構が、その軌跡を瞬時に予測して体をオートで反応させ、ジェイルとヤリナの二人は向かってきた凶弾のすべてをよけきった――が、それは無情にも新たな被害を引き起こしてしまった。
「!」
 周りの無関係だった人々が、次々と倒れていく。戦闘能力のない無力な存在は、戦いの場においてあまりにか弱かった。
 だが、監視者たちにとって人間とはモノの一種でしかないから、微塵も容赦することはない。
 あちらこちらから悲痛なまでの叫びが上がり続け、自分たちが動けば周りを巻き込んでしまうことがわかっていてもなお立ち止まれなかった、立ち止まるわけにはいかなかった。
 生きたい。
 その思いは、自分たちもまったく同じだったから。
 状況を見て、振り返りつつ散発的に反撃をくり返すものの、一機倒し、二機倒し、三機倒しても、その分すぐに増援がやってきて、きりがない。
 以前から素体に問題を抱え、もう息が上がり始めたジェイルの腹部を、ついに一条のレーザーが貫いていった。
 だが、それはあのボールが放ったものではなかった。
「――――」
 前方で、複数の男たちが銃を構えてこちらを鋭く睨み、その周りにはひどく不安げな目をした子供たちがいた。
 他の者も、監視者の狙いがこの場にいるすべての人間ではなく、あくまでこちらだと気づいたのだ。
 自分に被害が及ぶ前に行動する、殺(や)られる前に殺る。
 それが、この世界で生き残るための当然の掟であった。
「――――」
 だから、ジェイルも迷わず反撃した。
 男の右腕を撃ち抜き、衝撃波で周囲の人間を弾き飛ばすことで自分たちの逃げ道を確保する。女たちの非難の声も子供たちの悲鳴も、今は聞こえなかった、聞こえない振りをした。
「あっ」
 白い閃光が横を通り過ぎていくのを感じると同時に、ヤリナの普段はあまり耳にしない声色の声が聞こえた。
 見れば、左足の先に穴が空き、彼女の真後ろには震える手で銃を構える少女の姿が見えた。
 ――そうか。
 それは、レーザー・タイプの銃だった。無反動だから力のない者でも扱える、女性や子供には打ってつけの武器だった。
「…………」
 ジェイルは反撃をせず、倒れ込んだヤリナを抱え上げてもう一度跳んだ。背中にいくつかの銃弾を叩き込まれるが、この際かまいやしなかった。
 次は右足、右肩、頬と弾丸やレーザーがかすめていく。急所に当たらないのはほとんど奇跡的だった。
 やがて右目の視界が失われたのは、人工素体の制御システムが省電力モードに入ったことで、必要最小限の機能しか働かなくなったためだ。
 そんな中、前方の壁面の一部が崩れているのをたまたま見つけ出した。
 ――あそこなら。
 そのわずかな隙間、鉄骨と鉄骨の間に入り込み、ひたすらに走った。
 建設時に利用された通路らしく、足場は不安定極まりないが、人が通るには十分な強度があった。
 右へ曲がり、左に折れ、足を止めずに前へ前へと進んでいく。
 それでも背後から発砲音が聞こえてくるが、それは確実に遠ざかっていた。
「ジェイル」
「なんだ」
「センサーから反応が消えた。もう、こちらを狙ってない」
 ヤリナに言われてやっとジェイルは足を止め、それでもなんとなく後ろを確認してからそっと彼女を下へ横たえた。
「どうだ?」
 ヤリナの左足は想像以上にひどい怪我を負っていた。表面の人工皮膚はもちろん、内部の機構がめちゃくちゃに壊れてしまっている。
 当のヤリナは目をつむって静かにしていることからして、自己修復機能を働かせているようだった。
「――だめ、中央の機構が破壊されてる」
「このまま行くしかないな」
 代替になりそうなものはこの周囲になく、手持ちの道具でも修理は難しいようだった。
 近くに落ちていた鉄骨の切れ端をヤリナの左足にあてがい、チタン・ワイヤーで強引に固定した。足首から先を動かせないものの、これでとりあえずはひとりでも立ち上がれるようになるだろう。
 ジェイルがワイヤーを縛り終えると、奇妙な静けさが辺りを支配した。
 仮設通路の奥までやってきたせいかほとんど物音もせず、先ほどまでの喧噪が嘘のように、周囲には人や機械の気配はなかった。
 本来ならば、すぐに階段へ戻って下へ向かわなければならないはずだっだが、二人は腰を下ろして近くにあった壁に背を預けた。
「疲れた」
「俺もだ」
 ここまで休みなしで来た。強化(ブースト)された肉体とはいえ疲労を感じないわけではなく、できればこのまま眠ってしまいたかった。
 どこからか入り込んできた風が、二人の髪をそっと撫でる。空調を通ってきたのか、珍しくきれいな空気だった。
 二人は無言だった。無線で通信しているわけでも、記憶データの共有をしているわけでもなかったが、それでもわかり合えるなにかがあった。
「よし」
 ジェイルがゆっくりと立ち上がったのを見て、ヤリナもぎこちなく両の足で立った。
 状況は変わりない、というよりもお互いに体が傷ついた分、より切迫していた。
「行こう」
「うん」
 再び動き出す。まだ可能性をあきらめたくはなかった――たとえ、それがわずかなものであったとしても。
 だが、助かるか助からないかはどうでもよく、ただ今やるべきことをやっておきたかっただけだ。
 最後の最後で後悔だけはしたくなかったから。
よかった!
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