「ジェイル!」
ヤリナが助けに行こうとする間もなく、周囲から他の女たちも群がってくる。そのすべてが同じ顔形(かおかたち)で、髪の毛の一本一本の色や配置まで同じなのではないかとさえ思えた。
なす術なく、ジェイルがその中へ埋もれていき、それでも女たちがひとり、またひとりと増えていく。
言いようのない焦りを感じながら、ヤリナは体内の原子時計で時刻を確認した。
――もう時間がない。
それにこのままでは、ジェイルが押しつぶされてしまう。だが、素体にダメージを負った今の自分では、あのすべてを物理的に排除するのは不可能に近い。
手持ちの武器ではこころもとない。
もう、あれを使うしかなかった。
ヤリナは覚悟を決めた。かつてみずから厳重にロックした機能を、一番から十三番まで順に解除していく。
一番・解放請求――コンプリート。
二番・解放請求――コンプリート。
三番……
ひとつひとつのアンロックまでが無性にもどかしく、自分で施したとはいえ苛立ちを抑えきれない。
やがて、やっと十番までやってきた。すべての解除を待ちきれず、すべてオープンになっているところからメモリに読み込んで強引にプログラムを立ち上げていく。
その起動までの時間もいやに長く感じられた。
――昔の私のせいで、こんなことに。
今さらながら、重すぎた業に耐えきれなかったかつての己を深く呪った。
しかし、十三番解除の時は確かに訪れた。分割されていた符号(コード)が連結され、元のあるべき姿へと還っていく。
そして、内部からパスワードを求めてきたとき、ヤリナは迷わず入力した。
――〝inferno〟と。
cod: inferno......ignited.
〝地獄の業火〟と称された旧神でさえ戦(おのの)くクラッキング技術が、今完全に解き放たれた。
すぐさま処理を開始する。対象と周囲の電磁波の波長を分析し、最も有効に無線通信を行う方法を模索する。
その結果はすぐに出た。自動的に次の機構が立ち上がり、処理を高速に進めていく。
やがて、すべてを焦がす無限の炎が放たれた。
電波に載った目に見えぬそれは、瞬時に対象に到達し、ジェイルに群がる女どもの中枢部へと傀儡(ボット)が侵入していく。
――終わった。
手近にあった素体はすべて支配下に置いた。女たちがいっせいに動きを止め、その顔から表情が瞬間的に消えた。
この女たちは人間ではなく、人に似せてつくられた仮初めの命、人工体(ヒューマノイド)であった。おそらく、オーナーに捨てられて精神機構に異常を来し、ここまで流れ流れてやってきたのだろう。
その掌握はいとも簡単だった。元より、人間であっても強化(ブースト)されているのなら、〝インフェルノ〟の牙からけっして逃れることはできない。
(散れ)
ヤリナが命じると、女たちは素直に従い、この場から離れていくが、その動きは腹立たしいほど鈍く遅い。
焦(じ)れる気持ちが抑えられなくなった頃、群が完全に解かれた。最初にしがみついた一体だけがジェイルに掴まったままなのに怒りを覚えながらもすぐに駆け寄った。
「ジェイル」
「ヤリナ……」
女たちの重みで、潰されかかっていたジェイルが目を開いた。瞬間、その顔が驚愕に彩られた。
「ヤリナ、後ろだ!」
とっさに振り返ると、そこには巨大な影があった。
〝破壊者〟の中央部。これまで崩れずに残っていたそれが、こちらへ落下しようとしていた。
壊れた左足への電力供給をカットして、右足に全エネルギーを送り込む。そして、右足一本で横へ跳んだ。
中央部を構成していたどす黒い物体が、脇腹をかすめていく。間一髪かわすことができたが、それが向かう先は――
「ジェイルッ!」
ヤリナの血を吐くような叫びは、轟音にかき消された。
猛烈な風が吹き、土煙がもうもうと巻き起こる。視界がほとんど閉ざされるほど、それは凄まじかった。
この状況では、光学センサーは使えない。そこですぐに熱源を探知することにしたが、衝突の際のエネルギーによってあちらこちらに反応が出すぎてしまい、ジェイルの位置を特定するのは至難の業だった。
どこかがまだ崩れているのか、低く響くような音がやまない。中途半端な静けさが、いやおうもなく不安を駆り立てた。
煙が収まりだしたとき、通常視覚のほうでジェイルの姿をとらえた。思うように動かない足をもどかしく感じながら、そちらへ向かった。
ジェイルは、スクラップの中に埋もれていた。意識はあるようでわずかに体を動かしているが、自分では立ち上がれそうにない。
「ジェイル」
「ヤリナ、か?」
隣にひざまづき、状態を確認する。瓦礫に当たったらしく、両腕はつぶれていた。下半身は鉄くずに埋もれたままだが、それよりも上半身のダメージのほうが大きいようだった。
「動ける?」
破壊者の一部であった物をどけてやりながら問う。
「なんとか、な。しかし、腕を両方やられた」
「私のを片方使って」
「しかし、形式が違う」
「私が遠隔操作する。私があなたの腕になる」
決然と言い放ち、ジェイルのつぶれた腕を捨て、己の左腕を彼の肩口に取り付けた。
「いいのか?」
「私はだいじょうぶ」
ヤリナもすでに満身創痍だが、その状態でジェイルの体の動きに合わせて左腕を操作しなければならない。その負担は想像を絶するものがあった。
「体の制御システムを私につないで」
「――ああ」
わずかな気恥ずかしさを感じながらも、門(ゲートウェイ)をヤリナに向けて開放する。少しの違和感のあと、システムがつながったのを感じた。
「行けるか?」
「うん」
「行こう」
二人は走り出した、動かなくなった女たちをしり目に。
思うままにならない体を叱咤し、先を急ぎながらも、ヤリナの焦りは大きかった。
ジェイルは大きな負傷を負ったために動くことで精一杯だったが、それよりも先ほどから時間が気になって仕方がなかった。
――間に合わないかもしれない。
このペースでは厳しい。それに、ここに来るまで時間をロスしすぎていた。
走れば走るほど焦燥感がつのっていくが、かといって今よりも速く動けるわけでもなかった。
だが一方のジェイルは、ヤリナとは違った思いを抱いていた。
――静かすぎる。
蜘蛛を倒し、監視者を倒し、破壊者まで倒し、あまつさえ天球(スフィア)に不正アクセスまでしている。それなのに〝次〟が訪れない。
不気味だった。
旧神の行動パターンからして、ここまでした存在をそのまま放置するはずがない。
自分の知るかぎり、この次の対応にふさわしいのは――
〝ジェイル……ジェイル!〟
頭の中に直接響く声に、はっとして顔を上げた。
横を見ると、ヤリナの唇は動いていなかった。無線で直接音声データを送り込んできた。
「どうした、急に?」
「声に出して呼んだのに反応がなかった。それより、前に何かいる」
ヤリナの視線を追うと、通路の前方に黒い人影が見えた。荒れ果てた周囲では非常灯の明かりさえこころもとなく、主視覚でははっきりと認識できない。
「私のセンサーに反応がない」
「……稼働率は?」
「八七%」
ヤリナの高精度センサーが正常に働いているのに、目では認識できているのに、そこにはいないことになっている。
――何かおかしい。
よく見れば、周りにいる人々との縮尺が合わない。
異常に大きい。
大人の三倍くらいはあるだろうか。しかも、近くの人々がひとり、またひとりと倒れていく。
「あれは……」
ジェイルが瞳を揺らした。
その物体が、ゆっくりとこちらに向かってくる。不気味なほど人間らしい所作で。
「ヤリナ……」
その声は震えていた。
ヤリナがその事実に驚く間もなく、さらに信じがたい言葉がジェイルから発せられた。
「お前は先に逃げろ。〝奴〟は俺が引きつける」
ジェイルが苛立ちまぎれに、もう一度言った。
「行け! もう時間が――」
珍しく逡巡するヤリナの眼前に、すでに〝それ〟はいた。
ヤリナが助けに行こうとする間もなく、周囲から他の女たちも群がってくる。そのすべてが同じ顔形(かおかたち)で、髪の毛の一本一本の色や配置まで同じなのではないかとさえ思えた。
なす術なく、ジェイルがその中へ埋もれていき、それでも女たちがひとり、またひとりと増えていく。
言いようのない焦りを感じながら、ヤリナは体内の原子時計で時刻を確認した。
――もう時間がない。
それにこのままでは、ジェイルが押しつぶされてしまう。だが、素体にダメージを負った今の自分では、あのすべてを物理的に排除するのは不可能に近い。
手持ちの武器ではこころもとない。
もう、あれを使うしかなかった。
ヤリナは覚悟を決めた。かつてみずから厳重にロックした機能を、一番から十三番まで順に解除していく。
一番・解放請求――コンプリート。
二番・解放請求――コンプリート。
三番……
ひとつひとつのアンロックまでが無性にもどかしく、自分で施したとはいえ苛立ちを抑えきれない。
やがて、やっと十番までやってきた。すべての解除を待ちきれず、すべてオープンになっているところからメモリに読み込んで強引にプログラムを立ち上げていく。
その起動までの時間もいやに長く感じられた。
――昔の私のせいで、こんなことに。
今さらながら、重すぎた業に耐えきれなかったかつての己を深く呪った。
しかし、十三番解除の時は確かに訪れた。分割されていた符号(コード)が連結され、元のあるべき姿へと還っていく。
そして、内部からパスワードを求めてきたとき、ヤリナは迷わず入力した。
――〝inferno〟と。
cod: inferno......ignited.
〝地獄の業火〟と称された旧神でさえ戦(おのの)くクラッキング技術が、今完全に解き放たれた。
すぐさま処理を開始する。対象と周囲の電磁波の波長を分析し、最も有効に無線通信を行う方法を模索する。
その結果はすぐに出た。自動的に次の機構が立ち上がり、処理を高速に進めていく。
やがて、すべてを焦がす無限の炎が放たれた。
電波に載った目に見えぬそれは、瞬時に対象に到達し、ジェイルに群がる女どもの中枢部へと傀儡(ボット)が侵入していく。
――終わった。
手近にあった素体はすべて支配下に置いた。女たちがいっせいに動きを止め、その顔から表情が瞬間的に消えた。
この女たちは人間ではなく、人に似せてつくられた仮初めの命、人工体(ヒューマノイド)であった。おそらく、オーナーに捨てられて精神機構に異常を来し、ここまで流れ流れてやってきたのだろう。
その掌握はいとも簡単だった。元より、人間であっても強化(ブースト)されているのなら、〝インフェルノ〟の牙からけっして逃れることはできない。
(散れ)
ヤリナが命じると、女たちは素直に従い、この場から離れていくが、その動きは腹立たしいほど鈍く遅い。
焦(じ)れる気持ちが抑えられなくなった頃、群が完全に解かれた。最初にしがみついた一体だけがジェイルに掴まったままなのに怒りを覚えながらもすぐに駆け寄った。
「ジェイル」
「ヤリナ……」
女たちの重みで、潰されかかっていたジェイルが目を開いた。瞬間、その顔が驚愕に彩られた。
「ヤリナ、後ろだ!」
とっさに振り返ると、そこには巨大な影があった。
〝破壊者〟の中央部。これまで崩れずに残っていたそれが、こちらへ落下しようとしていた。
壊れた左足への電力供給をカットして、右足に全エネルギーを送り込む。そして、右足一本で横へ跳んだ。
中央部を構成していたどす黒い物体が、脇腹をかすめていく。間一髪かわすことができたが、それが向かう先は――
「ジェイルッ!」
ヤリナの血を吐くような叫びは、轟音にかき消された。
猛烈な風が吹き、土煙がもうもうと巻き起こる。視界がほとんど閉ざされるほど、それは凄まじかった。
この状況では、光学センサーは使えない。そこですぐに熱源を探知することにしたが、衝突の際のエネルギーによってあちらこちらに反応が出すぎてしまい、ジェイルの位置を特定するのは至難の業だった。
どこかがまだ崩れているのか、低く響くような音がやまない。中途半端な静けさが、いやおうもなく不安を駆り立てた。
煙が収まりだしたとき、通常視覚のほうでジェイルの姿をとらえた。思うように動かない足をもどかしく感じながら、そちらへ向かった。
ジェイルは、スクラップの中に埋もれていた。意識はあるようでわずかに体を動かしているが、自分では立ち上がれそうにない。
「ジェイル」
「ヤリナ、か?」
隣にひざまづき、状態を確認する。瓦礫に当たったらしく、両腕はつぶれていた。下半身は鉄くずに埋もれたままだが、それよりも上半身のダメージのほうが大きいようだった。
「動ける?」
破壊者の一部であった物をどけてやりながら問う。
「なんとか、な。しかし、腕を両方やられた」
「私のを片方使って」
「しかし、形式が違う」
「私が遠隔操作する。私があなたの腕になる」
決然と言い放ち、ジェイルのつぶれた腕を捨て、己の左腕を彼の肩口に取り付けた。
「いいのか?」
「私はだいじょうぶ」
ヤリナもすでに満身創痍だが、その状態でジェイルの体の動きに合わせて左腕を操作しなければならない。その負担は想像を絶するものがあった。
「体の制御システムを私につないで」
「――ああ」
わずかな気恥ずかしさを感じながらも、門(ゲートウェイ)をヤリナに向けて開放する。少しの違和感のあと、システムがつながったのを感じた。
「行けるか?」
「うん」
「行こう」
二人は走り出した、動かなくなった女たちをしり目に。
思うままにならない体を叱咤し、先を急ぎながらも、ヤリナの焦りは大きかった。
ジェイルは大きな負傷を負ったために動くことで精一杯だったが、それよりも先ほどから時間が気になって仕方がなかった。
――間に合わないかもしれない。
このペースでは厳しい。それに、ここに来るまで時間をロスしすぎていた。
走れば走るほど焦燥感がつのっていくが、かといって今よりも速く動けるわけでもなかった。
だが一方のジェイルは、ヤリナとは違った思いを抱いていた。
――静かすぎる。
蜘蛛を倒し、監視者を倒し、破壊者まで倒し、あまつさえ天球(スフィア)に不正アクセスまでしている。それなのに〝次〟が訪れない。
不気味だった。
旧神の行動パターンからして、ここまでした存在をそのまま放置するはずがない。
自分の知るかぎり、この次の対応にふさわしいのは――
〝ジェイル……ジェイル!〟
頭の中に直接響く声に、はっとして顔を上げた。
横を見ると、ヤリナの唇は動いていなかった。無線で直接音声データを送り込んできた。
「どうした、急に?」
「声に出して呼んだのに反応がなかった。それより、前に何かいる」
ヤリナの視線を追うと、通路の前方に黒い人影が見えた。荒れ果てた周囲では非常灯の明かりさえこころもとなく、主視覚でははっきりと認識できない。
「私のセンサーに反応がない」
「……稼働率は?」
「八七%」
ヤリナの高精度センサーが正常に働いているのに、目では認識できているのに、そこにはいないことになっている。
――何かおかしい。
よく見れば、周りにいる人々との縮尺が合わない。
異常に大きい。
大人の三倍くらいはあるだろうか。しかも、近くの人々がひとり、またひとりと倒れていく。
「あれは……」
ジェイルが瞳を揺らした。
その物体が、ゆっくりとこちらに向かってくる。不気味なほど人間らしい所作で。
「ヤリナ……」
その声は震えていた。
ヤリナがその事実に驚く間もなく、さらに信じがたい言葉がジェイルから発せられた。
「お前は先に逃げろ。〝奴〟は俺が引きつける」
ジェイルが苛立ちまぎれに、もう一度言った。
「行け! もう時間が――」
珍しく逡巡するヤリナの眼前に、すでに〝それ〟はいた。