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「機械(マキーナ)?」
 ヤリナがそう思ったのも無理はない。
 人型をしたそれは、確かにさまざまなパーツを組み合わせて構成されていた。
 しかし、その姿はどこか有機的で、装甲の陰に見える無数のコードの束が、まるで原始的な生物のようにうごめいている。
 頭部にあるセンサーらしき〝一つ目〟は、確実にヤリナを見下ろしていた。
「ヤリナ、急げ。こいつは……破壊者なんて比ではない。とんでもない怪物だ」
「私のデータベースにさえ情報がない。いったい――」
「行ってくれ、頼む」
 ジェイルの言葉は、命令から懇願へとその調子を変じていた。
 だから、ヤリナは困惑しつつも、これ以上なにも言うことができなかった。
「ヤリナ……」
「私が邪魔になるのか」
「――そうだ」
 一度ゆっくり瞳を閉じてから、ヤリナは意を決した。
「わかった。そのかわり、約束してほしい。かならず私のところに戻ってくると」
「わかった」
 すべての思いをいったん断ち切り、駆け出そうとしたヤリナの前で、人型が一瞬早く動いた。
 肩口から伸びるコードが、周囲の生きた人々を襲う。
 だが、攻撃するわけではない。頸椎の部分にあるプラグに有線でつなぐ、ただそれだけだった。
 その直後、人々が白目をむいて、ばたりばたりとあっけなく倒れていく。
 ヤリナに、その事実を驚いている余裕はなかった。
〝天使(エンジェル)――〟
 つなぎっぱなしだった回線から、ジェイルの声が聞こえてきた。
〝まだ人間を狩っているのか〟
 天使? 人間狩り?
 それに――
〝インフェルノに反応したようだ〟
 なぜ、私の符号(コード)のことを。
 あのことは、ジェイルはもちろん他の誰にも話していないことだ。
 天使ではなく、ジェイルのほうを向いているヤリナに気づかぬままに、当の本人は歯噛みしていた。
 ――今でも稼働していたのか。
 人に似て、人を欲し、それでも人になりきれない存在。それがどこかかつての自分に似て、今でも嫌悪の情を禁じ得ない。
 人間からあらゆる情報を入手し、咀嚼し、みずからのものとする。そうすることで、より人間らしくなれると信じて。
 そんなことをしても、同じことはしたくてもできない人間からは離れていくばかりだというのに。
 かつて、それらをつくった存在を呪う。
 目を細めるジェイルの前で、ついに天使が一歩踏み出した。
 ヤリナのほうへ。
「行け、ヤリナ!」
 ジェイルの声に弾かれるようにして、ヤリナは走った。
 時を同じくして、ジェイルが相手に体当たりを仕掛けるものの、無機物の塊はびくともしない。
 逆に大きく弾かれて姿勢を崩したジェイルの眼前で、天使の巨大な右腕がおぼつかない足取りで逃げる女のほうへゆっくりと伸びていく。
 左腕は軽く一振りしただけで、周囲の内壁をごっそりと消滅させた。
「やめろッ!」
 視覚にノイズが交ざるほどの大音声で叫ぶ。
 だが、天使の動きは止まらない。
 ジェイルは、意を決した。
 ――もう、過ちを繰り返すのは嫌だ。
 天使の歪な右腕からさらにいくつものコードが伸び、必死に逃げるヤリナを追う。
 振り返りながら走っていたヤリナは、足元の残骸につまづき、派手に転んだ。下にあったのは、皮肉にもあの最初に倒した蜘蛛の残骸だった。
 無数のコードが、ヤリナの細い肢体をからめ取る。
 両手、両足、そして首にまで巻きついた。
 一本だけ残ったコードがその先端を赤く輝かせながら、ヤリナの頸椎のほうへ向かっていく。
 もがくことさえ許されないヤリナのプラグに、それが差し込まれようとした刹那――
 天使が動きを止めた。
 横目で見ると、ジェイルがうつむいた状態で荒く息をついている。
 その左の肩口からは、ないはずの左腕が上方に伸びていた。
 天使のそれと同じ質感の有機的なフォルム。ジェイル自身の何倍もある大きさの砲塔が、相手の胸を刺し貫いていた。
 コードを動かせなくなった天使は、それでもなお震える右手をどこか愛おしげにヤリナに向けて伸ばしていく。
 直後、それは動きを止め、一瞬のうちに粉となって消えていった。
 同じように胴体も、足も、そしてジェイルの左腕まで、すべてがなにかの幻覚だったのではないかと思えるほど静かに消滅した。
(教授)
 声が聞こえてきた。聞いたことのない女の声。
 いや、これは外から聞いた自分の声だ。
 いつの間にか、周囲は小綺麗な白い部屋になっていた。その中央に、ぽつんと小型装置がコンソールを青く淡く明滅させている。
 目の前には男。
 ジェイルではない。灰色の髪に灰色の目をした壮齢の男が、女を見ていた。自分と同じ姿の、しかし白衣をまとった女を。
 男も女もにこやかに微笑んでいた。それだけで、二人がただならぬ関係であることがわかる。
 だが、一瞬のうちにそれらはかき消された。
 照明が落ち、闇に落ちた室内に紅い非常灯の光が明滅する。
 遠くで爆発音。それは断続的に、しかし少しずつ確実にづいてくる。
 やがて、後方のドアが吹き飛んだ。
 そこに立っていたのは――
 ――ジェイル。
 黒いスーツに暗い表情のジェイルが、二人ににじり寄っていく。
 あの左腕で。
(逃げろ!)
 灰色の男が叫ぶ。さっきのジェイルと同じ表情、同じ声音で。
 怯えた女は足が動かなかった。その彼女に突き出された砲塔は、すでに紅い輝きをまとっていた。
 教授と呼ばれた男が女をかばう。
 しかし無情にも、その彼が形態を変じたジェイルの左腕によって刺し貫かれていた。
 衝撃に膝を落とした女の足元に、紅い雫がしたたり落ちる。
 男の体を横へ放り投げたジェイルは、片目だけを紅く光らせ、そして――
 ごとり、という音に、ヤリナははっとして前方を見た。
 崩れかかった構造体。その中心坑の近くでジェイルが倒れていた。
「ジェイル!」
 駆け寄って抱き起こすと、生きているのかどうか疑わしいほど憔悴しきっていた。慌てて互いのプラグを有線でつなぎ、ありったけの生体エナジーを送り込んだ。
「……もういい」
「ジェイル」
「もういい、ヤリナ。お前が倒れてしまう」
 みずからプラグを引き抜くと、ジェイルは自分の足で立ち上がった。
 左手は、ない。
「ジェイル……」
「――お前の見たものがすべてだ。それだけだ」
 ジェイルは、多くを語ろうとはしなかった。肩を貸したヤリナのすぐ横で、うつむいたまま荒く息をしている。
「私は」
 ヤリナは言った。
「私は、ジェイルを信じる」
「――そうか」
 二人はあえてそれ以上なにも言わず、震える足で前へ進み出した。
 未だ階段と、その先に続く暗闇は終わりが見えない。周囲に機械の気配はなくなったとはいえ、人の気配さえなく、終焉が近いことをいやがおうにも感じさせた。
 進んでも進んでも見えてこない目的地。そもそも進んでいるのか、ただ同じところを回っているだけでなのか、自分でもわからない。ひょっとしたら、目の前の事実から逃げてきただけなのかもしれない。
 ――じゃあ、どこまで逃げればいい。
 ずっと走り続けてきた。ずっと戦い続けてきた。それでも未だ先が見えず、目標はなおのこと見えない。
 不安や焦りよりも、虚無感が抑えきれなくなってくる。こんなことに意味はあるのか、すべては無意味ではないのかと、疑念が身中で渦を巻く。
 ふと、足下にやわらかい感触があった。
 それは、人の死体だった。互いに殺し合ったか、それとも破壊者や監視者のような機械(マキーナ)にやられたか、辺りは人々の亡骸で埋め尽くされていた。
 他に足の踏み場もないから、それらを踏みつけていくしかない。その中途半端な感触に吐き気が込み上げてくる。
 ――俺たちはここまでして。
 ここまでして生きる必要があるのか、生きたいと思うのか。疑念がやがて自己への嫌悪に変わり、己のこころをどうしようもなく萎えさせた。
 だが、これまでの行為が報われるときがやっと訪れたのかもしれない。いくつもの死体を越え、瓦礫を越え、鉄くずを越えた先にはこの地下抗の最下層、巨大な扉が見えた。
「着いた、のか?」
 それは、両開きの大扉だった。その奥には巨大な階段が続き、数え切れないほどの人々がひしめき合っている。
 人類種最終保護シェルター。
 ここは、そう呼ばれていた。
「間に合った」
 珍しく息を弾ませながら、ヤリナがジェイルの横に立った。
 奇跡的だった。
 時計を見れば、タイムリミットをすでに過ぎているから、例のことが遅れているのかもしれない。
 ここまで意地でも進んできたかいがあった。たとえいくつもの障害に阻まれようと、あきらめずに走り続けてきたことは無意味ではなかった。
 幸い、シェルターにはまだ余裕がありそうだ。全体の人の数はすさまじいが、スペースはだいぶ残されている。
「急ごう、ジェイル。扉がもう閉じ始めてる」
「そうだな」
 ヤリナに促され、ジェイルがおぼつかない足を踏み出し、その後に彼女が続いた。
 警報が鳴り響いたのは、その直後だった。
「どういうことだ?」
 シェルターの外ではなく、その内側から聞こえてくる。耳障りな音に、人々がざわついた。
「いったい、なにが……」
「――重量オーバー」
 ヤリナの声は冷え切っていた。
「たぶん、許容重量を超えている」
「許容重量? シェルターにそんなものがあるのか?」
 静かにヤリナは頷(うなず)いた。
「このシェルターは分離ユニット形式」
 単に一定の空間を外部からの圧力に耐えられるようにするだけでなく、シェルターそのものをひとつの〝箱〟として可動式にしている。そのため、許容できる重量を超えないように、底部にかかる圧力が常に計算されていた。
「ここの中央システムに侵入してなんとかできないか?」
「外部からアクセスできないようになってる。そのためのシェルターだから」
 確かに、シェルターそのものを乗っ取られるようでは、その意味がない。ここの堅固さが、今は完全に裏目に出た。
 ゲートの扉がその動きを止めていることに気付いてそちらを振り返ると、そのすぐ前に数人の子供たちがいた。
 彼らと視線が触れ合う。それはどこか悲しげで、どこか儚(はかな)げだった。
 しばらく誰もなにも言えずにいると、やがて低い地響きの音が耳に届いた。
 それは徐々に徐々に大きくなり、実際の激しい揺れをともなって人々の身も心も揺さぶりだした。
「崩壊が始まった……」
 ヤリナが、静かに目を閉じた。
 最後の時が訪れたのだ、この地下抗を含めた構造体全体の終焉の時が。
 すべてが崩れ去り、逃げ場はひとつしかなくなるからこそ、人々はこのシェルターを目指し、死地をくぐり抜けてきた。
 ここまでたどり着けた者は幸運だったろう。大半が途中で倒れ、明日への希望を掴むことなく虚しく消えていった。
 だが、このシェルターにいる人々も、まだけっして救われたわけではなかった。
「扉が閉じないな……」
「アラームが鳴っている間は機能を停止する」
 すなわち――
「誰かが外に出ないと駄目ということか」
 揺れはより激しく、より大きくなっている。閉まらない扉に、内側の人々が不安の声を上げ始めた。
 シェルターの正面にある巨大な柱がその中ほどから折れ、まるでスローモーションのようにそれが倒れていき、盛大な音と煙を巻き上げる。
 もはや、迷う時間さえ与えられていなかった。
「なにか余分な物はないか」
 ジェイルがシェルターの奥のほうをうかがうが、ほとんどの人々が着の身着のままでここへやってきた。捨てられるような物を持っているはずがなかった。
 それでもあきらめきれず、ジェイルは周囲を忙(せわ)しなく探った。
 なにか、なにか手はないか。やっとここまで来たのだ、あきらめることがあまりにも惜しかった。
 そのジェイルの腕をそっと掴む者がいた。
「――ヤリナ」
 彼女は、ゆっくりと首を横に振った。その目はただただ静かで、どこまでも澄んでいた。
 すっと、ジェイルの中にあった焦燥感が消えていった。
 互いの思いを、互いがわが事のようにはっきりと悟る。
 ――もう、いいか。
 ――うん。
 言葉に出さずともわかっていた。思えば長い付き合い。十分な意志疎通ができるほどには、お互いの本質を理解していた。
 ジェイルはきびすを返し、扉のほうへ向かっていった。
 そのあとに、ヤリナが続いた。
 扉付近にいた子供たちと目が合うと、彼らが肩を震わせた。その様子に苦笑すると、ジェイルは彼らの頭を撫でてやってから、ゆっくりと外へ出た。
 ヤリナも同じようにしたとき、警報が鳴りやみ、扉が再び閉まりだした。
 内側の人々からの視線に、なぜか羨望が交じっているのが不思議だった。
 二人の目の前で、扉が完全に閉じられた。これで救いの道は完全に絶たれた。
 しかし、なぜか二人のこころは晴れやかだった。
 すべて終わった。たとえ実を結ばなかったとしても、自分たちは最大限やれることをやってきた。
 だから悔いはない、恐れもない。そして生き残った者たちへの恨みもなかった。
「ジェイル」
「ヤリナ……こういう結果になった」
「うん」
 もう、細かいことはどうでもよかった。今こうして二人でいられる、それだけで十分だった。
 激しい揺れと轟音の中、ジェイルとヤリナは身を寄せ合った。仮初めの肉体、それでも確かに相手のぬくもりを感じられた。
 地下抗の外壁が崩れていく。
 地下とはいっても、この〝構造体(ストラクチャ)〟は荒廃しすぎた地上を捨て、上空二〇〇〇メートルの位置に造られている。
 つまり、ここは空中だった。
「あ――」
 ヤリナが、思わず声を上げた。
 瓦礫の隙間から光が見え、その向こうには青い空が広がっていた。
 はじめて見る本物の空、そして地平線の向こうから昇ってくる太陽。
 すべてがあまりに美しく、愛おしく、涸れたはずの目に涙が戻ってきた。
 高度の放射能と有害物質によって汚染された大気、しかしその〝死の風〟はそれでも綺麗だった。
 二人が生まれて初めての朝日を見つめる中、シェルターが構造体から分離していった。これから、別の無事な構造体へと飛んでいくことになる。
 ――君たちに幸あれ。
 せめて、子供たちには明るい未来の灯火を残してほしかった。
 自分たちの分も生きてほしいなどとおこがましいことを言うつもりはない。ただ、彼ら自身のために生きてくれればそれでよかった。
 天然の陽光を受けるシェルターは、おそろしく美しい。それは、希望の箱船のように思えてならなかった。
 自分たちの人生は終わる。だが、それがどうしたというのか。
 意味のない生ではなかった、意味のある生だった。
 そう思えるほどに、これまで全力で生きてきた。
 仮初めの生なんてない。仮初めの肉体であっても、自分たちは確かに生きた。
 構造体が崩れゆく中、最後に見たのはやはり青空だった。
 美しい。この美しい星と共にありたい。
 風は、ただ優しかった。


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